選んでいただく前に、良いところも、そうでないところも知っておいてほしいと考えています。

瀬戸内市は岡山市の東隣、瀬戸内海に面したまちです。面積は125.46km²。隣り合うのは岡山市(東区)と備前市の2市だけです。2025年の引っ越しでみると、岡山市(4区)から転出を差し引いて242人、備前市からも76人が移り住んでいます。
| 人口 | 35,640人 | 男17,300人/女18,340人 |
|---|---|---|
| 世帯数 | 16,399世帯 | — |
※2026年7月1日現在・住民基本台帳(瀬戸内市「人口動態」)。数値は毎月更新されます。
西部は吉井川をはさんで岡山平野の一部をなす「千町平野」。南部・東部は瀬戸内海に面し、長島や牛窓諸島の島々が点在します。海岸部は瀬戸内海国立公園の区域内です。
| 大富駅 → 岡山駅 | 21分 |
|---|---|
| 邑久駅 → 岡山駅 | 24分 |
| 長船駅 → 岡山駅 | 28分 |
| 車(岡山ブルーライン) | 約30分 |
※JR赤穂線の時刻表(2026年3月14日改正)による目安です。

瀬戸内市に引っ越しても、気候は今とほとんど変わりません。岡山県の南部は全国的にも晴れの日が多く、雨が少ない地域です。
| 瀬戸内市 (虫明) | 岡山市 | 東京 | |
|---|---|---|---|
| 年間の日照時間 | 2,060時間 | 2,034時間 | 1,927時間 |
| 年間の降水量 | 1,151mm | 1,143mm | 1,598mm |
| 年平均気温 | 15.1℃ | 15.8℃ | 15.8℃ |
出典:気象庁 平年値(1991〜2020年)。瀬戸内市は虫明観測点、岡山市は岡山地方気象台の値です。
岡山市からお引っ越しの方へ:日照時間の差は26時間(1.3%)、降水量の差は8mm。気候はいまとほぼ同じとお考えください。「引っ越したら天気が悪くなった」ということはありません。
県外からお引っ越しの方へ:東京と比べると、日照時間は年133時間多く、降水量は447mm少なくなります。洗濯物が乾きやすく、外で遊べる日が多い地域です。
※雪は岡山市で年24.4日(東京8.5日)観測されていますが、積もることは多くありません。
2004年11月1日、邑久郡の邑久町・牛窓町・長船町が合併して瀬戸内市になりました。市名は公募で決まったもので、最終候補には「東岡山」「東備」「夢路」「あけぼの」もありましたが、「瀬戸内海の恩恵を受け、風光明媚で温暖な、穏やかな地域をイメージできる」ことから現在の名前が選ばれています。同じ市でも、暮らし方はまちごとに違います。
建物の価格はほとんど変わらないため、土地の差がそのまま総額の差になります。しかも市の全域が都市計画区域外で、都市計画税もかかりません。
出典:不動産ポータルサイト掲載価格の中央値(各駅から徒歩20分以内・土地150〜500㎡)。長船駅周辺と高島駅周辺の比較。2026年8月時点。
3歳・2歳・1歳のお子さんがいるご家庭で、年31.2万円。保育園・学童とも待機児童は0人です(国の基準による集計)。
※世帯所得により変動します。塾代は月3,000円支援・2027年4月開始予定。
邑久駅の周辺にスーパー・ドラッグストア・ホームセンター・図書館が集まっています。買い物の便利さは第三者評価で4.5(倉敷市4.0)。まとめ買いや服・家具は、車や電車で30分圏の選択肢から選べます。
屋内あそび場、海水浴場、公園、刀剣博物館やヨットハーバーまで。子どもの遊び場も大人の趣味も、車で数十分の範囲にあります。
刑法犯の件数は岡山市・倉敷市より少なく、日曜も市内で小児科が開いています。専門的な治療が必要なときの地域医療支援病院は、県南東部保健医療圏に10院。いちばん近い岡山旭東病院までは車で20分。一方で、海沿いには津波の想定区域があります。

私自身も、隣の岡山市から移住してきた一人です。惹かれたのは、交通面や生活面の利便性の高さと、コスパの良さ、そして牛窓の自然や世界に通用する歴史文化。掲げるのは「人が集い、手取りが増えるまちづくり」。就任からの1年で、45の新規施策を実行し、これからもどんどん実行してまいります。
瀬戸内市長 黒石健太郎(2025年7月就任)
人口3.6万人のまちですが、日本史の教科書に出てくる名前がいくつも重なっています。

長船地区は鎌倉時代から刀鍛冶が集まった、日本刀の一大産地です。中国山地の砂鉄と、吉井川・山陽道という交通の便が支えました。
文応元年(1260年)の刀に「備前国長船住人平助近」。刀工たちが自分の住むところとして刀に刻んだ二文字が、そのまま地名になりました。国宝「山鳥毛」を所蔵する備前長船刀剣博物館があり、古式鍛錬の実演も見られます。
長船町福岡は、国宝『一遍聖絵』に描かれた中世の商都「備前福岡の市」があった場所です。室町時代には山陽道でも最大級の市場として栄えました。
のちに黒田官兵衛・長政の黒田家が筑前に入国した際、先祖ゆかりのこの地の名をとって城下町を「福岡」と名づけたと伝えられています。九州の福岡市の名前は、この土地に由来します。
いまも現代版の「備前福岡の市」が、毎月第4日曜に開かれています。
戦国大名・宇喜多氏の本拠は、邑久町豊原にありました。宇喜多直家は砥石城を追われたのち、備前福岡で幼少期を過ごし、下笠加の寺に預けられたと伝わります。のちに乙子城主となり、岡山の覇者へ。
その子が宇喜多秀家です。岡山城を築き、豊臣政権の五大老にまでのぼりました。いまの岡山市中心部の礎をつくった一族が、このまちから出ています。
大賀島寺(邑久町豊原)には宇喜多一門の供養塔があります。
牛窓は江戸時代、朝鮮通信使の寄港地でした。本蓮寺に残る書軸9幅は、2018年に世界の記憶「朝鮮通信使に関する記録」に登録されています。
松尾芭蕉も、この港を句に詠みました。

牛窓は1982年、ギリシャのミティリーニ市と姉妹都市提携を結びました。ギリシャ政府観光局の駐日代表は1983年、こう書き残しています。
「私はふるさとに帰ってきた。青い海とオリーブ、点在する島々……"うしまど"はエーゲ海にのぞむ私の母国ギリシャを髣髴とさせる」
オリーブ園の丘から見える多島美が、この呼び名の理由です。
「大正の浮世絵師」と呼ばれた画家・竹久夢二が、16歳までこの土地で育ちました。生家は夢二郷土美術館の分館として残っています。ほかにも詩人の正富汪洋、書家の大原桂南、医学者の古武弥四郎を輩出しています。